舞台芸術フェスティバルが育む芸術文化環境

五島朋子

1.はじめに

世界の舞台芸術フェスティバルを象徴するエジンバラ(イギリス)やアヴィニョン(フランス)は[注1]、都市の名称でもある。季候の良い夏の期間中、都市全体がフェスティバルのにぎやかな雰囲気に包まれる。いずれも第2次大戦後の1947年に、文化による戦後復興を目指して始まり、すでに半世紀以上の歴史を持つようになった。また、両方の都市と舞台芸術フェスティバルの関係にも共通する点が多い。さらに、ひとりの芸術監督が選んだ招待作品からなる公式プログラムによるフェスティバルと、それに対抗するように始まった自由参加のフリンジ(アヴィニョンではオフと呼ばれる)による拮抗関係も近似している。公式、自由参加それぞれの運営主体が、全く別組織であることも共通している。両者は今や巨大規模のフェスティバルとなったが、この対立関係とフリンジのなかの質的競争が、会場となる都市全体をスリリングな演劇空間に転じさせていく大きな要素となっていると考えてよい。

本稿では、半世紀以上に及ぶこれらのフェスティバルが、背景となる地域の芸術文化環境整備に果たした役割を現地調査を通じて跡づけていく。そこから、イベント型から変容しつつある日本の舞台芸術フェスティバルと都市のより良い関係づくりの可能性を検討していきたい。 

2.市民にとってのエジンバラ・フェスティバル

1999年8月。エジンバラ市中心部から北西へ約2km。こざっぱりした住宅街の一角。典型的なタウンハウスに住む、62歳のカルロ・ゴードン夫人の台所の壁にかかるカレンダーは、真っ黒になるくらいびっしりと様々な予定が書き込まれていた。日頃は、自宅のアトリエで、身近な風物を油絵やペン画に描いている。しかし、いくつものフェスティバルが開催される8月は、演奏会に観劇に大忙しとなる。また、子どもが巣立った後の空き部屋を、この時期フェスティバルの観客に提供しているので、忙しさに拍車がかかる。期間中出たり入ったりする宿泊客との鍵の受け渡しや宿泊ルールについての申し渡しにも、寸暇を縫うスケジュール調整が必要だ。

演劇や音楽好きのみならず、国際的にもよく知られるエジンバラ・フェスティバルは、古都の美しい街並みの中で繰り広げられる。観光地としても、年間多くの人が訪れる。しかし8月の1ヶ月は、エジンバラ・インターナショナル・フェスティバル、エジンバラ・フリンジの他、映画祭、ジャズ・フェスティバル、ブック・フェスティバル、ミリタリー・タトゥーなどが同時多発的に開催され、45万の人口が倍にも膨れ上がる。

一般に日本でエジンバラ・フェスティバルと呼ばれているのは、招待作品のみからなるエジンバラ・インターナショナル・フェスティバルと、自由参加・手打ち公演の集合体が発展してきたエジンバラ・フリンジ両者をあわせたものだ。フリンジでは毎日200カ所近い会場で、午前10時から真夜中まで、1300もの公演が1日に行われている。芝居好きならば、インターナショナル・フェスティバルで行われる国際的な舞台にも足を運びたい。有象無象のフリンジの中から、すばらしい舞台を探し当てるという醍醐味も捨てられない。とすれば、数日間は滞在したい。しかし、バカンス・シーズンとあいまって、市街地中心にリーズナブルな宿を見つけるのは至難の業となっている。

ゴードン夫人は、Festival Bedsという名の組織に数年前から名前を登録している。当初エジンバラ在住のある女性が、フェスティバル期間に、宿泊施設として自宅の部屋を安く提供できる人をリスト化し斡旋したことから始められたものである。市の中心地からの交通の便や、居室のプライバシーの度合いによって料金が設定されており、一人1泊あたり10ポンドから35ポンド(1999年8月、日本円で2000円から7000円)程度である。朝食込みの値段だ。連絡先は、インターナショナル・フェスティバルのプログラムに記載されており、日本からFAXで希望する滞在期間と宿泊費を書き送ると、いくつかの候補をあげて返事がくる。朝食は、イギリスでポピュラーなB&Bと違って、ごく簡単なメニューとなっている。貸し主の負担を軽くする意味もあり、調理したものまでは出さない取り決めである。私もFAXの連絡を通して、このゴードン夫人にお世話になることになった。

期間中のゴードン夫人は、実に楽しげで、フェスティバルという機会を自身の生活の中に存分に活かしている。オペラ、クラシック、芝居、映画と様々なフェスティバルの演目に寸暇を惜しんで足を運ぶのはもちろんだが、宿泊客との情報交換や交流もなくてはならない楽しみである。朝食は、宿泊客と前日の成果や当日の観劇予定についての会話で始まる。フェスティバル期間中、スコットランド全国紙「Scotsman」には、毎日別刷りの特集「Festival」が折込まれており、それが食卓の脇に必ずおいてある。時には、彼女が、新聞評顔負けの手厳しい意見を披露する。彼女のお薦めの作品が新聞の週間第1位(fringe first)に選ばれていることもある。

インターナショナル・フェスティバルの演目、いわば芸術監督お墨付きのクラシック演奏やオペラのみならず、自由参加のフリンジにもこまめに足を運んでいる。期間前のプレヴュー公演などで、いち早く情報もつかんでいて、この公演は絶対見逃してはいけないと薦めてくれる。そうやって示され、私が実際に出かけた舞台にはずれはない。見てきたと言えば、「どうだった?」と興味津々で、こちらの意見も求めてくる。

野外公演なら、エジンバラの変わりやすい夏の天候対策として服装を指南してくれる。フェスティバルの祝祭的雰囲気を一挙に盛り上げるミリタリー・タトゥーの花火を、街のどこから見るのがいいか教えてくれる。地元で長く見続けているからこそ、見どころや、観劇ポイントの紹介は実に的を射ている。

また、彼女はインターナショナル・フェスティバルの「友の会」組織「The Festival Muses」のメンバーでもある。期間外に行われた会員のための講座やイベントに参加し、フェスティバルの今年の動向や情報を手に入れている。昨年夏新たにフェスティバル事務局となった教会堂の改修コンセプトや内装デザインといった、裏事情にもくわしい。宿泊客にリピーターが多いのもうなずける。作品を買い付けに来たイスラエルの女性演劇プロデューサー、新聞取材に訪れたベルリン・モルゲン・ポスト紙の演劇評論家といったそうそうたる専門家も常連である。

50年以上もの歴史をもつフェスティバルは、都市の暮らしという視点で見つめていけば、ゴードン夫人に象徴されるような、足下でフェスティバルを支え、自分の生活の一部として楽しむ市民を育ててきたと言える。

3.大学と舞台芸術フェスティバル

エジンバラは、大学都市の顔も持つ。エジンバラ大学は、市街地に200近い建物を抱える。夏休みとなる6月下旬から9月初めまで、一般向けのInternational Summer Courseを開設している。18歳以上で英語力がある人ならば、学歴国籍を問わず、受講料を納めて、授業を受けることができる。考古学やスコットランドの歴史から、文章術、コンピューターなど多岐にわたる講座が設けられている。中には正式に大学の単位として換算可能なコースもある。1999年は18歳から85歳まで、31カ国から600人にも及ぶ人達が、エジンバラ大学で学んだ。この中に、フェスティバル会期に合わせて、映画、インターナショナル・フェスティバル、フリンジの各講座が設けられている。各クラス定員20名、1週間ないし2週間のプログラムは週単位で受講できるようになっている。

いずれも、演劇や映画の実践及び教育に携わっている人材が講師である。フリンジ・コースの場合は、まず、フリンジ・ソサエティの代表者によるフェスティバルの概要や組織について説明があった。後のプログラムは講師が前もって選択した演目を毎日ひとつずつ鑑賞し、必ず翌日、その公演のプロデューサー、演出家、俳優などを交えて討議・質疑応答が行われる。演劇を中心に、様々なタイプ、会場の公演が選ばれている。フリンジのクラスは希望者が多かったため、2クラス編成となった。

講師は、みずから舞台を作って、フリンジに参加した経験もあり、また現在学校で演劇教育に携わっているため、公演内容のみならず、演劇を取り巻く状況などにも議論が及んだ。また、必ずしも英語を母国語としない受講生とゲスト・スピーカーの間をうまく橋渡しし、議論を活性化してくれた。コースには、エジンバラの歴史に関する講義と、1日観光バスチケットも含まれており、エジンバラ滞在へのイントロダクションが巧みにプログラムされている。

受講生は、アート・マネージメントを学ぶ大学生や、最近引っ越してきてエジンバラに詳しくなりたいという主婦、スキルアップしたい英語教師、ひと味違った観光をしたいOLなど多彩である。コース受講生になると、一時的に学生証が発行され、インターナショナル・フェスティバルであれ、フリンジであれ、学割がきくよう配慮されている。

エジンバラ大学は、学生寮などを含めて、2000もの部屋を持つ。夏休みの間は、その他の大学施設も活用して、コンベンションの受け入れに忙しい。サマー・コースの受講生も、一般利用客より割安でこの寄宿舎へ宿泊ができる。施設の老朽と、共同シャワー・トイレである学生寮のデメリットを補うよう、朝食だけは豪勢に準備されている。大学の夏期休暇中の教育プログラム及びビジネスとフェスティバルがうまく組み合わされている。

インターナショナル・フェスティバルのプログラムの中にも、招待演出家や作曲家、振付家をスピーカーに迎えたレクチャーは多数組み込まれている。また、フリンジ・ソサエティの主催で、フリンジ参加カンパニー向けのレクチャー、ワークショップが開催されている。このように、エジンバラではフェスティバル開催主体による関連事業、教育プログラムだけではなく、都市全体の中で、官民、公式・非公式なレベルで幾重にもフェスティバルを活用し、堪能する仕組みや人材が育てられていることがわかる。 

 

4.家族的経営を醸し出すアヴィニョン・オフ

フランスのアヴィニョンに、歩を進めよう。1999年は自由参加フェスティバルであるパブリック・オフに、460のカンパニーが参加し、550の演目が95の会場で3週間にわたり行われた。一方、エジンバラのフリンジでは、ロンドンの商業プロデューサーが運営するスーパー・ベニューと呼ばれる3つの会場で、総演目の2割が演じられている。内容も集客力のあるワン・マン・コメディにシフトしつつある。それに対して、アヴィニョン・オフの会場は、小規模個人経営が大半である。

また、オフの会場は他の機能の建物の転用である場合が多い。フェスティバルの主会場である城壁のなかで、市立劇場とベノワ7世ホールのみが、初めから劇場として建てられたものにすぎない。この2カ所は、招待作品によるメインのアヴィニョン・フェスティバル(以降インと呼ぶ)の会場となっている。オフへの参加劇団の数が増えるにつれ、城壁内の様々な建物が次々と劇場として使われるようになり、現在は城壁の外へも会場が設けられている。

座席数120の劇場エタンセレは、オフの典型的な会場である。メインの通りからひとつ路地を入った静かな場所にある。ほとんど車が通らないので、建物の前には、木製ベンチがおかれて、開演前のロビーに転じる。1998年には、日本のダンス・カンパニー、イデビアン・クルーが公演を行った。もとはスタジオだったのを改修し、1989年からオフの会場として使っている。期間中は、他のオフの会場と同じく朝10時から真夜中まで、1時間半から2時間刻みで8公演が行われている。

100カ所近いオフ会場のうち、1割余りが、フェスティバル期間以外も常設の劇場として運営されている。エタンセレは、アヴィニョン在住の演劇人夫婦が運営している。元々、パリで演劇をやっていたクラウディー・レモニエール氏は、自ら演出した作品でオフにも毎年参加している。アヴィニョン在住の演出家による公演プログラムは、インの冊子にも綴じ込まれている。オフとインは全く別組織の運営だが、アヴィニョンという地域に根ざした活動には、形式的には市の外郭団体となるフェスティバルの事務局が、情報発信面で協力している。

レモニエール氏が、初めてフェスティバルのアヴィニョンを訪ねたのは、1967年のこと。フェスティバルの創始者ジャン・ヴィラールが健在で、フェスティバル全体が実に美しい時代だったと回想している。その時以来、アヴィニョンに移り住み演劇をすることが彼女の夢だったという。現在、通常は、劇場を使ってヨガや演劇教室を運営、フェスティバル期の会場使用料で資金を得ながら、自身の演劇活動を行っている。

やはりアヴィニョン在住の演劇人であるアンドレ・ベネディト氏が、1966年に、インに対抗するように公演を打った。こうしてオフは、始まった。以来30年以上、毎年フェスティバル期間には自作公演を行っている。教師だった氏は、1960年の初めに病気療養を目的にパリからアヴィニョンへ移り住む。戦後うち捨てられていた教会の建物を買い取り、改修して演劇活動を始めた。現在は、フランス文化省、アヴィニョン市の助成金などを得ながら、期間外にも自作の演劇公演を定期的に行っている。

人口9万人のアヴィニョンに、小規模ながらも、こうした劇作家・演出家が運営する転用常設劇場が、10数カ所は存在することになる。かなりの劇場密度だといえるだろう。

1982年、オフが、現在のように事務所を構えて、公演情報が記載されたプログラム発行やチケット販売を始めた。当時、ベネディト氏を含めて35ぐらいのカンパニーが、フェスティバル期間にインとは関係なしに公演を打っていた。しかし、どこで誰が何をやっているのかわからない。やはり自らもオフで公演をしたアラン・レオナール氏が、夫妻で地図を作り会場案内を作った。これが、現在のパブリック・オフ事務所の母体となっている。

オフの会場運営主体である個人の存在感は大変明瞭で、これは常設の小屋に限らない。フェスティバル期間のみの一時的な劇場利用であっても、その場所を借りて劇場として運営し、オフのプログラムを決定している人物とそのポリシーははっきりしている。一見巨大なフェスティバルであるオフも、つぶさに見ればそれぞれの会場がひとつのフェスティバルを営んでいるのである。

5.おわりに

アヴィニョン及びエジンバラの舞台芸術フェスティバル運営の仕組み、華やかなメインのフェスティバルを可能にする英仏の国家的な規模とレベルでの芸術文化支援政策、さらには芸術文化を必要とする社会における価値観といった大きな枠組みから、日本の舞台芸術フェスティバルが学ぶべきことは多い。しかし、同時に、ひとりひとりの立場に立ったところから、この盛大なフェスティバルを見つめ返してみる必要もある。

舞台芸術フェスティバルという仕掛けが、作り手側にとっては、自身の舞台芸術活動をより確固としたものとして運営し成長させていく契機となっていることがわかる。また、観客、一般市民にとっても、舞台芸術をより身近な生活に密着したものとしていく契機として作用してきたことがよくわかる。さらに相互の関係が舞台芸術フェスティバルという仕掛けに昇華されながら、市民も、既存の組織も、演劇人も協働しあって、自分の都市のフェスティバルをどん欲なまでに創出し味わっている。こうした相互作用から、アヴィニョン、エジンバラの現在のような芸術文化環境が形成されてきたと言えよう。

最後に、日本での可能性を検討する立場から、私が携わっている好例を紹介しておきたい。2000年の夏から秋にかけ、山口県柳井市の中山間部伊陸(いかち)で、第1回IKACHI国際舞台芸術祭が開催された。企画・主催は地元劇団「POPTHEATREЯ」の主宰者久保田修治氏。当地に残る戦前の木造映画館「みどり会館」を改修しながら、劇団の持ち小屋として使ってきた。屋根の小屋組や土壁がむき出しで、決して立派とは言えない。だが、この集落と建物の劇場としての魅力、さらには主宰者の心意気に惹かれて、私は九州芸術工科大学の藤原惠洋助教授とともに招聘メンバーのキャスティングを手伝うことにした。その結果、北九州在住のドイツ人演出家ペーター・ゲスナー氏、在京の振付家新井英夫氏と氏が呼び寄せたカナダ人ダンサーのピーター・チン氏らが参加を決め、公演を行った。[注2] また公演に連携し、フェスティバルに関するレクチャーの開催、ダンサーによる身体ワークショップ、カナダからのアーティストの滞在にあわせた地域の方々やこどもたちとの交流会、ポストパフォーマンス・トークといった企画が、きめ細かに展開していった。公演日には、劇場にのぼりや垂れ幕がかかり、祝祭の気分を演出すると、近所の中学生が「今日は何やるの?」とのぞき込んでいく。実際の公演にも、交流会に参加した子どもやご老人たちが観客としてやってきた。日頃想定できないような公演メニューと野良仕事で日焼けした地域の人々との関係が生み出されていったのである。

この土地ならではの空間を活用した劇場空間、はっきりと顔が見える劇場主、好奇心旺盛な地域の方たち。片田舎でささやかに始められた国際舞台芸術祭だが、すでに地域の芸術文化環境整備に独特の作用を与え始めた。久保田氏は、アヴィニョンをいつか敵状視察したいと言う。そこで自分たちの公演を実現させてみたいとも言う。なぜならあのアヴィニョン・フェスティバルも、ひとりの演劇人、ひとつの劇団、ひとつの会場から始まったのだから。そう語る久保田氏の夢はまた、私が得てきた彼の地の都市と舞台芸術フェスティバルの関係性をより身近な地域に創出していきたいと考える私の夢とも響きあうものである。

[注1] 日本では一般的に、エジンバラ演劇祭、アヴィニョン演劇祭として知られているが、どちらの場合にもダンス、音楽、オペラなど多様な舞台作品からなる総合的な舞台芸術フェスティバルのなかに多数の演劇が含まれており、正式には演劇祭の名称は存在しない。そのため本稿では、これらを舞台芸術フェスティバルと呼んでいく。

[注2] IKACHI国際舞台芸術祭は、主に7月27日ペーター・ゲスナー氏率いるうずめ劇場「にしむくさむらい」(作 別役実、演出 武石守正)、8月5日「fLight〜をどるかなたにみるこなた」(振付・構成・出演 ピーター・チン、新井英夫)9月30日、10月1日POPTHEATREЯ「蛇口」(作・演出 自由下僕)により構成された。公演後参加者たちにはさらなる活躍が続いており、関係者を喜ばせている。ゲスナー氏は、今夏富山県利賀村で開催された舞台芸術財団演劇人会議による第1回利賀演出家コンクールにて最優秀演出家賞を受賞した。POPTHEATREЯは、11月に開催される東京国際舞台芸術フェスティバルのリージョナル・シアター・シリーズに招聘されている。また、「fLight」は、カナダ・トロントで開催されたShared Habitat Festival of the Art and Environmentに招聘され9月12日〜16日計5回の公演を行い、現地のメディア、批評紙等で高い評価を受けた。

五島朋子(ごとう・ともこ)

九州芸術工科大学大学院博士後期課程在籍。九州大学大学院建築学専攻修了後、1988年より10年間、東京・福岡の自治体で建築職として公共住宅づくりやまちづくりに携わる。1998年都市文化研究所設立。また、福岡ワークショップデザイン研究会事務局として市民参加のまちづくり現場の企画運営を行う一方、地域における芸術文化環境整備をテーマに調査研究及び実践的な活動に携わっている。